音楽をより深く楽しむための「アートリテラシー」とは
導入
「音楽は考えるものではなく、感じるものだ」
確かに、音楽理論を知らなくても音楽は楽しめますし、楽譜を読めなくても、伴奏の和音を識別できなくても、私たちは音楽を聴いて「かっこいい」「美しい」「泣ける」と感じることができます。
しかし、ここで一つ疑問があります。
なぜ、私たちはその音楽をかっこいい、美しい、泣けると感じたのでしょうか。
メロディが心に残ったからでしょうか、歌詞に自分の経験を重ねたからでしょうか、それとも、ボーカルの声や歌い方から感情が伝わってきたからでしょうか。
このように考えていくと、私たちが音楽から受け取る感情は何もないところから突然発生しているわけではなく、メロディ、歌詞、歌声、演奏、音量の変化などの作品に含まれる要素と、鑑賞者自身の記憶や経験が結び付くことで生まれていることが分かります。
私は、このように作品を観察し、自分が何を感じたのか、その感情が作品のどの要素によって生まれたのかを考えることを、アートリテラシーと呼んでいます。
本記事では、音楽をより深く楽しむためには鑑賞者にもアートリテラシーが必要であると主張しますが、これは、考察しなければ音楽を楽しめないという話ではありません。
アートリテラシーは音楽鑑賞に参加するための資格ではなく、既に楽しんでいる一つの作品から、さらに多くのものを受け取るための能力です。
アートリテラシーとは
本記事では、アートリテラシーを次のように定義します。
--作品を構成する要素を観察し、自分が受け取った印象との関係を考え、根拠をもって解釈・評価する能力
これは、単純な音楽理論の知識量とは少し違います。
例えば、「この曲は最後のサビで転調している」という指摘は、作品の中で起きている音楽的な事実を確認しているにすぎません。
そこからさらに、なぜ最後のサビで転調したのか、転調によって曲の印象はどのように変化したのか、歌詞や楽曲全体の展開とどのように関係しているのかまで考えることで、初めて音楽理論の知識が作品の理解へとつながります。
音楽理論が作品を読み解くための語彙であるならば、アートリテラシーは、その語彙を用いて作品と向き合い、自分なりの解釈や評価を組み立てる能力です。
感じた理由を知る
文部科学省(2018)によると、高等学校における芸術科目の目標として、生涯にわたって芸術を愛好する心情を育むことや、芸術のよさや美しさを深く味わうことが掲げられています。
また、音楽から感じ取ったことについて、その理由を音楽の構造や文化的・歴史的背景などの視点から、自分自身で捉えていく過程が必要であると説明されています。
つまり、「明るい曲だった」「悲しい曲だった」「かっこいい曲だった」という感想だけで終わるのではなく、なぜ明るく感じたのか、どの瞬間に悲しさを感じたのか、何がそのかっこよさを生み出していたのかと考えることが、音楽を深く味わうことにつながります。
例えば、同じ「明るい」という感想であっても、その理由は一つではなく、高い音域で演奏されるメロディによって明るく感じたのかもしれませんし、速いテンポや軽快なリズム、歌詞や歌唱表現、あるいは、その曲に結び付いた個人的な記憶が影響しているのかもしれません。
漠然とした感想を一つずつ分解し、その理由を作品の中に探していくことで、初めて自分がその音楽の何を聴き、何に心を動かされていたのかが見えてきます。
知識によって、音楽の楽しみ方が増える
アートリテラシーの例として、田中オーギュメント、ブラックアダーコードなどと呼ばれている和音について取り上げます。
ピアノ演奏を中心にインターネット上で活動する配信者・ゆゆうた(2018)は、この独特な響きを「イキスギコード」と表現しました。
突然、謎の新しいコードが発見されたように見えますが、和声の仕組みから見れば全く未知の和音というわけではなく、使用される文脈によっては、ジャズで一般的に用いられる裏コード――トライトーン・サブスティテューション――や、テンションを含むドミナントコードのボイシングとして説明できます。
ゆゆうた氏は、この特徴的な和音に着目し、インターネット配信において鍵盤上で再現した上で、「イキスギコード」という強烈かつ覚えやすい名前を付けて大衆に紹介しました。その結果、それまで和音の正体を知らなかった多くの鑑賞者にも、この特徴的な響きが広く認知される契機が生まれ、その気持ちよさを共通の言葉によって共有できるようになりました。
そして、その知識を享受した私たちも、メロディや歌詞だけではなく、今まで特に意識していなかった伴奏そのものへ着目し、その響きや和音の移り変わりを楽しめるようになります。
知識によって、音楽がつまらなくなったのでしょうか。
むしろ逆で、今まで意識できていなかった和音が聞こえるようになり、同じ曲から得られる楽しみが一つ増えています。
表現者が作品の中から技法を発見し、それに名前を付けて広く共有することで、鑑賞者はその知識を受け取り、今までとは異なる視点から作品を聴き直せるようになります。
これは、ゆゆうた氏が持つアートリテラシーによって特徴的な和音が大衆へ広く普及し、さらに、その知識を受け取った鑑賞者のアートリテラシーも高められた例だと言えるでしょう。
知識は音楽の楽しさを減らすのか
「音楽の仕組みを知ると、冷静になりすぎて楽しめなくなる」と考える人もいるかもしれませんが、少なくとも、音楽について知ることと、音楽を楽しむことが必ず対立するわけではありません。
Houら(2024)は、楽曲に関する分析的知識または歴史的知識を学習した前後で、参加者の楽曲に対する好ましさがどのように変化するのかを調査しました。
その結果、どちらの知識を学んだ場合も楽曲に対する好ましさが上昇し、特に、楽曲を構成する音楽的要素について分析的な知識を学んだ集団では、より大きな上昇が確認されました。
もちろん、この研究だけを根拠として、音楽を分析すれば誰でも必ずその作品を好きになると断定することはできませんが、少なくとも、音楽の仕組みを知ることが、その楽しさを必ず破壊するわけではないことは分かります。
知識を得る前と後で曲そのものが変わったわけではなく、鑑賞者が作品の中から認識できるものが増えたことで、同じ曲から得られる経験が変化したのです。
表現者にとってのアートリテラシー
アートリテラシーは、音楽を鑑賞する人だけではなく、作曲や演奏などの表現を行う人にとっても有用です。
Efland(2002)は、想像力を、既存のイメージを整理・再編成・結合することで新しいアイデアを構築する認知活動として論じており、そのためには、物事の間に存在する表面的ではない類似性を知覚する必要があるとしています。
例えば、ジャンルもテンポも使用楽器も異なる二つの曲について、「どちらもクライマックスの直前で音数を減らしている」という共通点を発見したとします。
二つの作品は表面的には全く異なる音楽性を持っていたとしても、音数を一度減らして抑制することで、その後に訪れる変化を相対的に大きく感じさせるという原理は共通しています。
この原理を理解できれば、元の曲で使われていたフレーズや楽器編成をそのまま模倣することなく、自分の作品ではドラムを止める、演奏する楽器を減らす、音域を狭くする、音量を下げるなど、別の方法によって同様の効果を生み出すことができます。
したがって、考察によって得たいものは、特定のフレーズやコード進行そのものではなく、なぜ、その表現が効果を生んでいたのかという原理です。
アートリテラシーは創作の正解が記載された教科書ではなく、自分が作品を作るときに選択できる手段を増やすための道具箱です。
考えることと感じること
もちろん、全ての音楽を最初から最後まで分析しながら聴く必要はなく、初めて触れる作品については、まず何も考えずに聴き、気になる部分があればもう一度聴き直し、なぜ気になったのかを考えた上で、再び普通に作品を味わえばよいと思います。
感性によって作品から何かを受け取り、理性によってその理由を考え、得られた知識や解釈を持って、もう一度感性による鑑賞へ戻るという往復が重要です。
アートリテラシーは、作品から受け取った感情を知識へ置き換えて消してしまうためのものではなく、考察によって、次の鑑賞体験を更新するためのものです。
結論
音楽は、考察しなくても楽しめます。
しかし、アートリテラシーを身に付けることで、自分が何を感じたのか、なぜそのように感じたのか、作品のどの要素がその感情を生み出していたのかまで考えられるようになり、同じ作品から受け取れるものを増やすことができます。
では、実際に音楽を考察するとき、何に着目すればよいのでしょうか。
私は、主に三つの視点を重要視しています。
一つ目は、イントロ、Aメロ、サビなどがどのような順番で並び、曲全体がどのように展開しているのかという、楽曲全体の構造です。
二つ目は、リズム、メロディ、ハーモニーが、それぞれどのような役割を果たしているのかという、音楽を形作る一つひとつの要素です。
三つ目は、そこで使われている表現がどこで生まれ、どの時代やジャンルで多く使われてきたのかという、ジャンルの分類と音楽の歴史です。
簡単に言えば、曲全体を見ること、細かな音の仕組みを見ること、そして、その音楽が生まれた背景を見ることの三つです。
次回以降の記事では、この三つの視点について、それぞれ見ていきます。
Footnotes
- 文部科学省『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 芸術(音楽 美術 工芸 書道)編 音楽編 美術編』2018年。
https://www.mext.go.jp/content/1407073_08_2.pdf - Ongaku Concept, “The Blackadder Chord,” YouTube, 2017年5月29日。Production: Joshua Taipale.
https://www.youtube.com/watch?v=pei5ldtbI7U - 「イキスギコード」YouTube。2018年10月22日の配信を収録した動画。
https://www.youtube.com/watch?v=YMzBtGZ-wNQ - SoundQuest「Blackadder Chord」。
https://soundquest.jp/quest/chord/chord-mv8/blackadder-chord/ - Hutchinson, Robert. “Standard Chord Progressions.” Music Theory for the 21st-Century Classroom, University of Puget Sound.
https://musictheory.pugetsound.edu/mt21c/StandardChordProgressions.html - Hou, Y., Song, B., Zhu, Y., Yu, L., & Hu, Y. (2024). “Acquiring Musical Knowledge Increases Music Liking: Evidence From a Neurophysiological Study.” PsyCh Journal, 13(6), 927–942.
https://doi.org/10.1002/pchj.791 - Efland, Arthur D. (2002). Art and Cognition: Integrating the Visual Arts in the Curriculum. Teachers College Press / National Art Education Association, pp.133–134.
https://books.google.com/books?id=dzGRDQAAQBAJ
脚注
- Scott Joplin – “Binks’ Waltz” (1905) にて、イキスギコードと近い響きを持つドイツ増六の和音が、ジャズの先駆の一つであるラグタイムですでに用いられている例。