New Orleans Jass / Dixieland Jazz
概要
発祥:1890’s アメリカ ルイジアナ州 ニューオリンズ
全盛期:1900’s~10’s末
19世紀末、ミシシッピ川デルタ地帯から黒人労働者がニューオリンズへ職を求めて移住してくるようになり、ニューオリンズにブルースが伝わった。そんな中、コルネット奏者の”Buddy” Bolden”は、Ragtime、黒人霊歌、マーチングバンド、それに田舎の Delta Blues を融合させた斬新な音楽を創り出し、当時の典型的なニューオーリンズのバンド形態をブルースを演奏するのに適した形に再編成した。このスタイルのブルースは、発祥地の名を取って New Orleans Jass(注:誤字ではない)と呼ばれた。また、白人が New Orleans Jass を模倣したものを Dixieland Jazz と呼んだ。音楽性は同一のため、現在は双方の明確な境界はない。
1914年、アメリカの第1次世界大戦参戦の影響でニューオーリンズが軍港として使用されるようになり、歓楽街が閉鎖された。結果、ニューオーリンズのジャズ演奏家はシカゴなどに活動の拠点を移すこととなる。
1917年、シカゴやニューヨークで活躍していたニューオーリンズ・スタイルのバンド”Original Dixieland Jass Band”が世界初のジャズ・レコードである『Dixieland Jass Band One-Step / Livery Stable Blues』をリリースし、100万枚を売り上げる大ヒットを記録する。これによってジャズの知名度が国民的なものとなり、ジャズが栄えていくきっかけとなった。
影響を受けたジャンル
これら2つのジャンルが混ざったものが基盤となった。
音楽的特徴
楽器・バンド編成
“Buddy Bolden”は複数の弦楽器をリズム・セクションに割り当て、フロントラインには複数のクラリネット、複数のトロンボーン、コルネットを配置した。このスタイルは「ニューオーリンズ・スタイル」と呼ばれ、長くに渡って親しみ続けられた。
代表曲
- Buddy Bolden – My Bucket’s Got a Hole in It
- Buddy Bolden – Careless Love
“Buddy Bolden”はアメリカンアフリカンのコルネット奏者で、New Orleans Jass を生み出した「キング・オブ・ジャズ」である。録音技術が生まれる前に演奏をやめてしまったため、知られている限りでは音源は残っていない。非常に大きな音であったことや絶え間のない即興演奏をしていたということで知られている。
- Original Dixieland Jass Band – Dixieland Jass Band One-Step / Livery Stable Blues (1917)
“Original Dixieland Jass Band”は白人によるジャズ・グループで、彼らの『Dixieland Jass Band One-Step / Livery Stable Blues』は世界初のジャズ・レコードとして有名。
『Livery Stable Blues』は伝統的なブルースを白人が演奏した例としても歴史的価値が高い。
- King Oliver and His Dixie Syncopators – Papa Joe 1926–1928 (1969)
“King Oliver”はミュートを使用した演奏の先駆者で、彼の『Wa Wa Wa』という曲の影響で、ミュートを利用したテクニックに「ワウワウ (wah-wah)」という名前がついたと言われている。
- Louis Armstrong – Basin Street Blues (1928)
“Louis Armstrong”は黒人のコルネット奏者で、”King Oliver”の弟子としても有名。
派生したジャンル
・Swing Jazz
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