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概要
発祥:1940’s初頭〜半ば フランス
全盛期:1975’~
1940年代、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスでは、それまでの娯楽であったビッグバンドに合わせて踊るという行為を禁止されていた。しかし、市民は深夜に秘密裏に隠れた場所に集い、持ち寄ったレコードに合わせてダンスを踊っていた。このように、DJがかけたレコードに合わせてダンスを踊る娯楽場のことを「Discotheque」と呼んだ。
1960年には、ニューヨークでナイト・クラブの先駆けとなった“Le Club”がオープンした。当時の客層は白人の中産階級が中心で、ロック系が好んでかけられた。1960年代後半になると、ヒッピーの影響により店内で麻薬の使用や密売が行われたりもしたが、ヒッピー・ムーブメントの終焉、警察による取締りなどによって、ディスコクラブは一気に客層を失ってしまう。
多くのクラブでは客層のターゲットを白人から黒人やヒスパニックへ変更し、今まで入場を認めていなかったゲイも歓迎した。その結果、ダンスの場であると同時に現実から逃避する場として人気を博し、新しいダンス・カルチャーが生まれる場所となった。
1970年代になると反戦運動や学生運動は廃れ、代わりに「meism」と呼ばれる自己中心主義が栄える。今この瞬間の快楽を求めることが「善」とされ、ディスコでのダンス熱を生むことに繋がった。一方、ミュージシャン側は決して単純なダンス・ミュージックを作ろうとはしていなかったが、ソウル・ミュージックはダンスを求める人々にとって非常に魅力的な音楽だった。
1975年、この一連の流れを汲み取った、Philadelphia Soul のアーティスト”Van McCoy”が、踊りやすく単純化させた楽曲『The Hustle』をリリースする。この楽曲は全世界で大ヒットし、ディスコ・ブームが訪れることとなった。
影響を受けたジャンル
・Philadelphia Soul
美しくドラマチックなオーケストラ・サウンドとシンプルかつ切れの良いラテン・リズムの融合は、ディスコ・サウンドの基盤となった。
音楽的特徴
- 「4オン・ザ・フロア」と呼ばれるキックによるビート
- 8分や16分音符で刻んだハイハット・パターン
- 弱拍でオープンするハイハット
- シンコペーションが盛り込まれたベースライン
代表曲
- MFSB – Love Is The Message (1973) : TSOP (The Sound of Philadelphia)
最初期のディスコとして知られており、シングルカットされた『TSOP (The Sound of Philadelphia)』はディスコミュージックとして初となるBillboard Hot 100で1位を記録したと言われている。だが、まだこの頃は「踊るための音楽」として作られていなかった。
・Van McCoy & the Soul City Symphony – Disco Baby (1975) : The Hustle
「踊るための音楽」として作られた最初期の曲で、ソウルチャートで1位、全米チャートで12位を記録した。
シングルカットされた『The Hustle』はピッコロのメロディーラインが印象的で、カナダ、スペイン、アメリカの3つのチャートで1位、イギリス、ベルギー、ドイツでは3位を獲得するなど、世界中で大ヒットした。
議論
派生したジャンル
影響を与えたジャンル
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